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良く見つけたねw
良く鼻の穴クリックしたねw
ここのページではBiographyをもっと細かく書いています。
1979/12/24
早朝5時くらいに神奈川県の今はなき病院で生まれる。
生まれた時から夜行性人間ですw
両親が音楽関係の為、記憶にない頃からピアノをやっていた。
人間はピアノを誰もが弾くもんだと思っていた。
だから音符を読む訓練をした記憶すらない。
M幼稚園入園。
親から離れるのが嫌で泣きべそをかいていたらしいが、担任の綺麗な先生を好きになりルンルンで通う。
が、弁当を温める時の匂いは嫌いだった。
この時代にサッカー・ファミコン・自転車に出会いハマル。
もちろんピアノもやり続ける。
Y小学校入学。
学校まで徒歩2〜3分なのに6年間毎日の様に遅刻ぎりぎりだったりした。
ピカピカの1年生。
座る席が決まり一番後ろになった。
隣の女の子に毎日の様にいじめられる。
席替えをするまで、いじめられ続ける。
この時から大好きだったサッカーが習いたくて地元のクラブチームに入った。
沢山の練習試合をして鍛えあげられる。
5年生になり何を思ったのかクラブチームを辞め、イトマン(水泳)にチェンジ。
この頃、親父からもらった1本のテープが運命の別れ道。
そのテープは日本を代表するFUSIONグループ「T-SQUARE」だった。
「このメロディーの楽器は何だ??!」と衝撃を受け親に聞くが、サックスと言われてもどんなのか全然分からん。
毎日の様に聴きまくり、リコーダーの指使いで音を追いながら自分が満員のホールでサックスを吹いているのを
イメージしながら聴いていた。
が、聴き過ぎてテープが壊れる。
6年生になる頃、イトマン上級者まで行き「バタフライは出来なくて良い」と思い辞める。
そして、地元の子と鬼ごっこがしたかった為に近所に将棋を習いに行く。確か9級だった様な・・・・
将棋の日は、習いに来てる友達と鬼ごっこに夢中。
それが親にバレ辞めさせられる。
もちろん小学校に通ってる間はピアノをやり続けた。というか、強制的にやらされていた。
人間は生まれつきピアノをしていなかったのだ。男でやってる奴は学年に数人。
辞めたくて仕方がなかった。
SQUAREにもピアノは入ってるが、俺の頭の中にはサックスの音色でいっぱいだった。
が、1日1回もピアノを弾かなかったら親父が帰宅してブチ切れる刑が待っていた。
ピアノを弾いた弾かないで何度もバトルはあった。
しまいには「小遣いやるからピアノ練習しろ!」とまで言われた。
少し練習したw
そして小学校卒業。
仲良かった友達とは違う中学校。道路一本のせいで地区が変わってしまったのだ。
だから小学校時代の幼馴染は激少ない・・・・。
おかげで入学する中学校まで徒歩20分くらいだ。
A中学校入学。
「吹奏楽部に入部してサックスやるんだ!」とSQUAREに出会った時からず〜っと思い続けてきた。
見た事もない楽器だが、リコーダーの運指でイメトレは完璧だった。
何故か「俺は絶対サックスが吹ける!」という自信があったw
入部するのが待ち遠しくてワクワクしていた。
が、、、、、入学したA中学は、まだ新設校で吹奏楽部が存在しなかった。
鬼のショックを受けつつも悪ガキ問題児が集まるサッカー部に入部。
この頃からピアノは全く練習しなくなり弾く事もほとんどなくなった。
見事に勉強もせず1日中サッカーをしてた。
CDという存在を知って、近所のCD屋にSQUAREを探しに行った記憶がある。
アホの様にサッカーを朝から晩までしていたが、サックスという存在を諦める事はなかった。
テスト勉強も全くしなかったせいでテストは目を疑うほど悪かったw
でも、音楽と体育・美術だけはトップクラスの成績だった。
高校受験になり、行きたい高校を担任Sに言うが「無理だ!」と即答される。
仕方なく地元のヤンキーが集まる公立高校に入学するかぁ〜と思っていると担任Sに呼び出され
「私立の高校を紹介してやるから見学してこい!」と言ってきた。
すぐ親と見学に行くとスーパー良い学校だった。先生は優しい、学校は綺麗、設備も良い、サッカー部(全国レベル)、
言う事ない。
返事は即OKし、サッカー部なのに何故か音楽が得意という事で高校に推薦してもらう。
K高校入学。
中2〜3の頃から髪を染め始め高校入学する頃にはアメ人と日本人のハーフ並みに茶髪だった。
入学してみると見学した時とは全然違って格闘家の先生が沢山いるスパルタ高校だった。
ダマサレタ!!!と思いながらも入学してしまったから諦める。
もちろん入学1日目から頭髪で目を付けられ担任に呼び出される。
気合いで「地毛です!」と言い切り生徒手帳に親の一筆をもらって来いという事で解決した。
それから数ヶ月間、髪の色をキープする為に脱色し続けた事は言うまでもない。
何か問題が起これば先生にボコボコにされる刑が待っている高校では「一発も殴られずに卒業してやる!」と
目標を立てた。
数日後、仮入部が始まった。K高校では部活は強制参加である。
もちろん歴史が深いK高校にはサッカー部も吹奏楽部もある。
とりあえず、ず〜っと続けてきたサッカー部の仮入部にGO。
全国レベルのサッカー部。バカデカイ校庭を100週しオーディションに受からなければ入部は認めないと・・・・
アホかっ!!!! 100週もしてられるかっ!!!
と思い、吹奏楽部にGO。
ここで初めてサックスと出会ったのだ。
先輩に色々な楽器を進められたが「サックスしか興味ない!」しか言わなかった。
先輩: 「とりあえずこれ(マウスピース)吹いてみて。たぶん音出るまで3日くらいかかるから」
俺: 「は〜い。とりあえず教本を見ながら試行錯誤」
・・・・・・・・5〜10分後・・・・・・・・
ぷぅぅぅぅ〜〜〜〜〜!!!!!鳴った!!(>0<)/"
この時点で何故か「イケル」と思ったw と同時にサックスパートに決まったも同然。
先輩もビックリし、ネックを付けての音出しもクリア。
ボディーを付けてみる。
「おぉ〜〜〜〜〜〜!これがあのサックスってやつかぁ〜!!」
先輩に指使いを教わる。 と、、、、何とイメトレしていたリコーダーとほぼ指使いが同じではないか!!!
またまた「イケル」と思ったw
ここから、毎日の様にサックスを吹く日が始まった。
吹奏楽部といっても運動部なみに厳しい。
部室に入る時は「失礼します」
椅子に座る時も「失礼します」
床に座る時(正座)も「失礼します」
1年生は掃除・先輩の譜面台用意・・・・・・雛壇に登る事すら許されなかった。
でも、サックスの為だと思い我慢我慢我慢。
朝練は強制だったが、あるクダラナイ理由で先輩に怒られながらもバックレていたw
当時の目標は、とりあえず1つ上の先輩を抜く事。
先輩から借りた楽器でロングトーンから始まり部室にあるサックス教本は全てやり、与えられた曲も全てやり・・・・・
一通り教本をやり終えた時には、運指も覚え、楽器のコントロールも出来る様になっていた。
サックスの運指・アンブッシュアーを覚えてからの上達スピードは自分でもビビルほどウルトラ速かった。
個人練習の時間は先輩にバレない様にSQUAREを吹いたりしていた。
(与えられた練習・課題曲以外は吹いてはいけなかった)
テープが壊れるまで聴いていた耳は、メロディーからソロまで覚えていたのだ!!w
覚えてる音を探しながら吹く。 この練習が一番楽しかった。
が、簡単な曲をCDと合わせて吹いてみると音色の違いに愕然とした。
そして一緒に吹いてるのに、音が違う・・・・・・
そう、俺が完全に覚えていたのは相対音感。
曲それぞれにKeyがある事を忘れていたw
一音一音確認しながら吹いてみるとムズッ!!!!
「何が違うのだ!!!」
ここで音色とKeyの壁にぶち当たったのでした。
そして半年後・・・・・
親父が「ホントにサックス吹ける様になったならサックス買ってやる!」と言ってきた。
すぐ新御茶ノ水にある楽器店に連れて行ってもらい、親父の前で今まで練習した曲を吹いてみせた。
もちろん買ってもらったw YAMAHAのYASシリーズだったかな?
自分の楽器が手に入りさらに練習が楽しくなった。そして自己流試行錯誤の日々が続く・・・。
高校2年生。
何と先輩がいるにもかかわらずサックスパートリーダーになった。
俺の中ではかなり気まずい空気だったが、先輩達も心良く「リーダーやってよ!」って言ってくれた。
この頃から目標はさらに高くなり、何を思ったのかサックスで音大に行きたいと思い始めた。
第一希望は、もちろん東京芸術大学!第二希望はサックス科のレベルが高かった昭和音楽大学!
そして昭和音楽大学付属音楽教室クラシックコースに通う事にした。
最初のレッスンの時、先生に・・・
俺: 「先生!俺、音大行きたいです!!」
先生: 「今からじゃ無理!遅すぎる!!」
俺: 「・・・・・・・・」「やだっ!!」
この日から色々なアドバイスをもらい、指の形、アンブッシュアー、運指、音色、マウスピース変更、間違ってる物を全て教え直された。
そりゃそうだ。全て教本や先輩のアドバイスを頼りにした自己流なのだからw
音大受験では音楽理論・スケール等は必須。
ここから受験勉強の日々が始まる。
授業が始まる前に部室に行き朝練。スケール練習。
昼休み。スケール練習。
部活が終わってからスケール練習。
楽器を持って帰って自宅でスケール練習。
親父が帰って来てからは音楽理論勉強(親父に教えてもらってた)
こんな日々で2年生は終わる。
高校3年生。
何と今度は、部長兼サックスパートリーダーになってしまった。
この時点で、入学当初の目標である「一発も殴られずに卒業してやる!」という事が99%不可能になったと思った。
部活内でトラブル発生や式典・野球応援等の行事でのミス。全て部長の責任になり、顧問パンチが待っているのだ。
先輩達の話では、今まで部長をしてて一度も殴られずに卒業した奴はいない・・・・・と。
毎日ドキドキであるw
俺が部長になってからは、厳しかった規則を全てなくした。
もちろんある程度の上下関係はあったが、何かと「失礼します」ってのは全てなくしてしまったw
殴られるの覚悟というか、開き直って部室内では好き勝手やっていた。
雛壇の下は何故かエヌゲージで線路だらけw 持ってる奴が持ち寄ったのだ。 俺もその一人w
放課後はガタンガタンと電車が走る。 他にも何かとあったが、部室は遊び場になっていた。
同級生の協力もあり顧問の機嫌が最悪になる事はなかった。
少しだけ怒られた事はあるが、俺の必殺笑顔で何とか逃げ切った。
こんな日々の中でも、スケール練習・音楽理論の勉強は毎日続けていた。
3年生の中盤。
やっぱり東京芸大の先生に師事しないと芸大には行けないんじゃないか・・・・・と思い先生を探す。
すると親が有名先生がいるという情報をゲットしてきたのだ。
その先生の教え子は沢山いる。しかも、その沢山の教え子が数々のコンクールで賞を受賞したりともの凄い先生だ。
俺はこの人しかいない!と思い、すぐ自宅レッスンに通う。
LESSON 1回目。
俺: 「先生!俺、芸大に行きたいです」
先生: 「うむ。その楽器では厳しいかもしれないけど分かった。」
俺: 「・・・・・チーン・・・・・」
先生: 「俺はクラシック以外は民族音楽にしか思えない。お前をクラシックの虜にしてやろう。」
その言葉を聞いて俺はカッチ〜ンと来た。 クラシック以外って事は俺の好きなSQUAREを否定したのだ。
でも、芸大に行けるなら我慢だ!!
俺: 「はい。宜しくお願いします!!!」
今までやっていた教則本を使ってのレッスン。
数分後、緊迫したレッスンの空気に緊張しすぎて首後ろの筋肉が緩んでしまった。
初めての経験だった。 サックスを吹こうとしても息が鼻から抜けてしまって、楽器が吹けないのだ。
この時点で先生はカンカン。。。
俺は意味分からずこんな状態になっているのに、ひたすら「練習不足だ!!破門だ!!!・・・・」などと怒鳴られる。
俺も俺でだんだん言われるのに我慢が出来なくなってきてキレそうだった。。。
「はぁ?練習不足だぁ?破門だぁ??初対面でオメェ何言ってんだ??テメェ何様だよ!!!」(心の叫び)
が、我慢。俺は我慢強いのだw
吹けなくなった時点でレッスンは終了。
数日後。
我慢LESSON 2回目。
またまた最高に緊迫しきったレッスン。
この時点で先生に拒否反応が出ていた。
人間的に受け付けなかったのだw
でも、音大に行ける為と気合いで頑張ったのだ。。。
何かとヤイヤイ言われ終わる。
このレッスンが終わった時点で、俺はそうとう頭にきていた。
というか、我慢のし過ぎで疲れきってしまった。
数日後。
我慢LESSON 3日目。
キャンセルw
レッスン前日に高熱でブッ倒れたのだw 完全拒否反応だ!!w
この日からレッスンは辞めさせてもらった。というかバックレてやったw
そして、寝込みながらも今後どうするか考えた。。。
サックスで音大に行くのか。 専門に行くのか。
俺の中では、なるべく専門には行きたくなかった。音楽大学に行きたかったのだ。
体調が良くなってからも、良い先生情報はなかった。
それでも、音大受験はしようと思ってたから毎日サックスと理論の勉強は必ずやった。
つづく
*時間に余裕がある時にダラダラ書きたいと思います。